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我々は、コンピュータプログラムにおいてアイディアを表現から分離するためのWhelan判決のアプローチは、形而上学的な区別に重きを置きすぎており、実際的な考慮を十分に強調していないと考える。我々が論ずることになる諸判例が示すように、この問題に対する満足のいく解答は、哲学的な第一次的原則を用いることによってア・プリオリには到達しえない。
2つ以上のコンピュータプログラムの非文字的要素が実質的に類似しているかどうかを決するために、地裁によって用いられた抽象化テストに基づいたならば、同地裁としては賢明にも3段階のステップを踏むであろうと我々は考える。このアプローチは、何ら目新しいものではない。むしろ、融合、お定まりの描写(scenes a faire)及びパブリック・ドメインといった馴染みの著作権法理に近いものである。
このアプローチのもとで実質的類似性を確かめるにあたり、裁判所は始めに、侵害されたとするプログラムを、それを構成する構造的部分に分解する。次にこれらの各部分を、表現と一体となったアイディア、当該アイディアに必然的に付随する表現及びパブリック・ドメインからとった要素というような事項について吟味することにより、保護されない要素をすべてふるい落とすこととなる。この消除のプロセスをたどった後、創作的表現の核心または核心たりうる部分を残した上での裁判所の最終ステップは、この要素を、侵害したとするプログラムの構造と比較することである。この比較の結果により、問題となっているプログラムの保護される要素が侵害の認定を正当化できるほどに実質的に類似しているかどうかが決せられることになる。こうしたことをいま少し敷衍するのが有益であろう。
第1ステップ:抽象化
地裁が認めたように、Nichols判決においてラーニッド・ハンド判事によって説明された実質的類似性分析の理論的枠組みは、現在の状況下でも有用である。Nichols事件において当裁判所は、アイディアを表現から分離するための「抽象化」テストとして現在知られているところのものを、明確に述べている。抽象化テストは、本来は小説及び演劇のような文芸作品に関して用いられていたのであるが、コンピュータプログラムにも適用可能である。Whelan判決のアプローチとは対照的に、抽象化テストは「暗に、どんな作品も無数のアイディア及び表現の混合から成り立ちうることを認めている」。
コンピュータプログラムに用いられる際、抽象化テストは実質的類似性の吟味における最初のステップとなる。はじめに、理論上はリバース・エンジニアリングに似た方法によって、裁判所はコピーされたとするプログラムの構造を解体し、そこにおける抽出物の各レベルを分離しなければならない。このプロセスは、コードに始まりプログラムの究極的機能を表現することに終わる。それに伴い、設計者の各ステップを(プログラムの制作過程で行われたのと逆の順序で)たどるとともにマッピングすることが、非常に重要である。
この手順への解剖学的なガイドとしては、以下に示すところが有益であろう。
抽象化の最低レベルにおいて、コンピュータプログラムは全体として1個のモジュール・ヒエラルヒーに組織された、個別指示のまとまりであると考えることができる。より高度な抽象化レベルにおいて、最低レベルのモジュールにおける指示は概念上、当該モジュールの機能によって置き換えることができる。段階的に高度化する抽象化レベルにおいて、より高度なレベルのモジュールの機能は当該モジュールの、より低いレベルのモジュール及び指示に関する実行に概念上取って代わり、最終的にはプログラムの究極的機能のみが残る。あるプログラムは、それが検討される抽象化レベルのすべてにおいて、構造を有している。プログラムの構造は、低い抽象化レベルでは非常に複雑となりうるが、最も高度なレベルでは些細なものとなる。
第2ステップ:濾過
ひとたびプログラムの抽象化レベルが明らかになると、実質的類似性の検討は概念的なものから具体的なものへ移行する。Nimmer教授は保護される表現を保護されない要素から分離するための「連続的濾過法」を提示しており、我々はこれを支持する(3 Nimmer§13.03 [F])。このプロセスでは、抽象化の各レベルに含まれる構造的要素が「アイディア」であったのか、または、効率性の考慮上要請されたものであって、その結果当該アイディアに必然的に付随することとなったり、プログラム自体にとっては外的な要因により必要とされるものであったり、あるいはパブリック・ドメインからとったものであるが故に保護されない表現であるのかを判断するために、当該各抽象化レベルにおけるこうした構造的要素を吟味することとなる。どんなプログラムの構造でも、こうした考慮の一部または全部を反映することもあれば、全く反映しないこともある。事例ごとに、固有の事実に即した検討が必要となる。
厳密に言えば、かかる濾過は「原告の著作権の範囲を画する目的」に資するものである(Brown Bag Software v. Symantec Corp., No. 89-16239, slip op. 3719, 3738 (9th Cir. April 7, 1992) (保護される表現を分離するための、コンピュータプログラムの「分析的解体(analytic dissection)」を支持))。確立された著作権法の法理を適用することにより、あとには究極的に「保護される要素の核心」が残ることとなる(3 Nimmer§13.03 [F][5], at 13-72)。かかる第2ステップを、さらに詳述することが有益であろう。
(a) 効率性に支配される要素
先に述べたBaker v. Seldenにおける、アイディアに必然的に付随する表現に対する著作権保護を否定するとの判示は、後に融合法理へと発展したところの考え方の基礎をなすように思われる(Morrissey v. Procter & Gamble Co., 379 F.2d 675, 678-79 (1st Cir. 1967) (くじのルールを具体化した表現は、くじ自体のアイディアから分離不可能であり、それ故に著作権によっては保護されないと述べるにあたり、Baker判決に依拠); see also Digital Communications, 659 F. Supp. at 457)。その法理の根底にある原則は、「一つのアイディアを表現する方法が本質的に一つしかない場合、当該アイディアとその表現とは分離不可能であって、著作権は当該表現のコピーを何ら妨げるものではない」というものである(Concrete Machinery Co. v. Classic Lawn Ornaments, Inc., 843 F.2d 600, 606 (1st Cir. 1988))。こうした状況では、当該表現はアイディア自体と「融合(merged)」したといわれる。著作権者にアイディアの独占権を与えないようにするため、かかる表現は保護されるべきでない(Herbert Rosenthal Jewelry Corp. v. Kalpakian, 446 F.2d 738, 742 (9th Cir. 1971)。
CONTUは、融合法理をコンピュータプログラムに適用しうることを認めている。その連邦議会へのレポートには、以下のように述べられている。
著作権を認められる言語であっても、あるアイディアを表現する方法が限られた数しかない場合には、侵害を起こすことなくコピーしうる。これをコンピュータについていえば、特定の指示がたとえ以前に著作権を認められていても、あるタスクを実行する唯一かつ不可欠の手段である場合には、後に他者が使用しても侵害にはならないことを意味する(CONTU Report at 20)。
この命題は、直接にはプログラムコードすなわちプログラムの文章的側面に対する融合法理の適用だけに関係するものであるが、同法理がコンピュータプログラム全般について非常に適合的であることを合理的に示唆してもいる。
さらに、一般的にプログラマーは「ユーザーのニーズに最も効率的なやり方で応える」プログラムを制作しようと努力するものだという事実を考慮すれば、融合法理のコンピュータプログラムへの適用可能性は必然的なものになる。コンピュータプログラムの設計に関していえば、効率性の概念は、最も簡明な論理的証明を引き出すこと、あるいは最も簡潔な数学的計算を行うことに近い。よって、あるモジュールの組合せは、それが効率的になればなるほど、プログラムの構造の特定側面に具体化されたアイディアまたはプロセスに、より接近することとなる。
理論的には、プログラマーがプログラム中の特定の機能を実現する(つまり、あるサブルーチンに具体化されたアイディアを表現する)方法は無数に存在しうるが、効率性の問題によって実際の選択範囲は非常に狭まるので、せいぜい一つか二つの表現形式が動作可能な選択肢となるにすぎない(see also Whelan, 797 F.2d at 1243 n.43 (「一定のタスクにつき利用可能なファイル構造が非常に限られた数しかないこと、及びかかる場合に構造が著作権保護を受けえないこととなるのは確かである」))。もちろん、すべてのプログラムの構造が効率性の問題に影響されるわけではない。同判決は、そのように効率性へと指向されたプログラム構造のある側面に対する著作権保護が融合法理によって妨げられるかどうかを判断するために、裁判所は「この特定のモジュールの組合せを用いることが、(実行される)プログラムのプロセスの該当部分を実行するために効率上必要かどうか」を審査しなければならない、と続けている。もしそうならば、プログラマーが行う特定のモジュールまたはモジュール群の選択によってなされる表現は、その根底にあるアイディアと融合したものであって、保護されないこととなる。
構造上の経済性を融合法理の適用に結びつけることのもう一つの正当化理由は、プログラムが本質的に実用品であるという性質、及びソフトウェア市場に存在する競争力においてである。これらの要因は連動して立証の問題を生じるが、融合はこの問題の解消に役立つ。
効率性は、業界全体にとっての目標である。既に述べたように、どんなプログラムのタスクについても効率的な実行は限られた数しか存在しえないので、独立に作業した複数のプログラマーが、侵害されたとする作品に用いられたのと同一のメソッドを設計することは十分にありうる。もちろん、かかる場合には何ら著作権侵害はない。
こうした状況では、二つのプログラムが同一の効率的構造を含んでいるという事実は、コピーの推定に結びつくのと同様に、独立制作の推定に結びつくことにもなる。よって、構造が同じように効率的であるという証拠は特段コピーの立証にはならないので、全体としての実質的類似性の分析においては考慮から外すべきである。
コンピュータプログラムの構造に関して実質的類似性の問題に触れている判例のいくつかは、融合法理の適用を支持している。直近では、Lotus Dev. Corp., 740 F. Supp. At 66 において、地裁はコンピュータの表計算プログラムの構造に関する著作権侵害の主張に直面した。裁判所は、「循環する”L”に類似した基本的な表計算の画面ディスプレイは、かかるプログラムの表現すべてにみられるものではないとしても、殆どの表現にみられるものである」と述べた。同様に、裁判所は「電子的表計算の、すべてではないとしても殆どにみられる基本的ディテールは、特定のキーの設定であり、そのキーを押すとメニュー指令システムが実行されるのである」と認定した(Id.)。裁判所は融合法理を適用して、いずれのプログラム要素に対しても著作権保護を否定した。
Manufacturers Technologies, Inc. v. Cams, Inc., 706 F. Supp. 984, 995-99 (D.Conn. 1989) における侵害の主張は「その画面ディスプレイにおいて示されるような」さまざまなプログラムの類似性とされるものについてであった。裁判所は融合分析における効率性の問題を強調して、プログラムのユーザーが画面ディスプレイ中をナビゲートできるようにするメソッドは保護されないと判示し、理由の一部として「ある特定の画面ディスプレイ上を内部的にナビゲートするプロセスないし方法は、ユーザーの快適性の促進を単純に達成しうるような方法の数に限られる・・・」ことを挙げている。
我々は、これらの判決中でとられたアプローチに賛成し、こうした状況における融合法理の適用はコンピュータプログラムに含まれる保護されない表現を取り除く有効な方法であると結論づけるものである。
(b) 外的要因に支配される要素
当裁判所は「特定の歴史上の時代ないし実在のテーマについて、一定の『ストック』あるいは標準的な文芸的手法を用いることなしに書くことが事実上不可能」な場合には、当該表現は著作権保護を受けないと述べた(Hoehling v. Universal City Studios, Inc., 618 F.2d 972, 979 (2d Cir), cert.denied, 449 U.S. 841 (1980))。例えば、Hoehling事件はヒンデンブルグ禍に関するいくつかの作品から生じた侵害訴訟であった。そこでは、「ハイル・ヒトラー」のような敬礼をすること、あるいは特定のドイツの歌を歌うことを描いたドイツのビアホールの描写に存する類似性について、それらがナチスドイツでの生活を扱う際に「不可欠または少なくとも標準的である」との理由で、侵害の認定に結びつくものではないと結論づけた(Id. (quoting Alexander v. Haley, 460 F. Supp. 40, 45 (S.D.N.Y. 1978))。これは、お定まりの描写(scenes a faire)なる法理として知られており、「融合」のように、コンピュータプログラムにも同様に適用される(Cf. Data East USA, 862 F.2d at 208 (「お定まりの描写」を、家庭用コンピュータビデオゲームに適用))。
Nimmer教授は、「多くの場合、ある特定の計算環境において特定の機能を遂行するプログラムを、標準的な技術を用いることなく記述するのは事実上不可能である」と指摘している。これは、プログラマーの設計選択の自由が、しばしば(1)ある特定のプログラムの作動を想定したコンピュータの機械的仕様、(2)あるプログラムが連動するように設計されている他のプログラムとの適合上の要請、(3)コンピュータメーカーの設計標準、(4)提供先業界の需要、及び(5)コンピュータ業界で広く受け入れられているプログラミング手法といった外在的考慮によって制限されるという事実からの帰結である。
裁判所は既に、これらの要因のいくつかを、コンピュータプログラムの様々な要素に対する著作権保護を否定するにあたって考慮している。Plains Cotton判決において第5控訴審裁判所は、プログラムを侵害したとされる者に対する仮処分命令を否定した地裁の判断を容認したが、その理由の一部として「プログラム…間の類似性の多く[は]、コットン市場の外部性に支配されていた」とした。
Manufacturers Technologies判決において地裁は、プログラムの画面ナビゲーションのメソッドは「そこで使用されるべく当該ソフトウェアが設計されたところの、ハードウェアの型に影響される」と述べた。「ハードウェア・パッケージの機能が、原告の画面ディスプレイに用いられるナビゲーションツールの型に影響を与え、これを制限した」との理由もあって、裁判所はプログラムの当該側面に対する著作権保護を否定したのである。
我々はかかる現行の判例法に立脚して、侵害したとされるプログラムの構造的内容をも、外的要因に支配され得た要素について吟味すべきと結論づけるものである。
(c) パブリック・ドメインからとった要素
お定まりの描写が保護されないことと密接に関連して、パブリック・ドメインの素材というものがある。。こうした素材は自由に用いることができ、たとえそれが著作権のある作品に含まれていても、単一の著作者が独占することはできない(E.F. Johnson Co. v. Uniden Corp. of America, 623 F. Supp. 1485, 1499 (D. Minn. (1985); see also Sheldon, 81 F.2d at 54)。我々は、自由にアクセスできるプログラムの交換所ないしそれに類するもののためにパブリック・ドメインに入ったコンピュータプログラムの要素に関して、この原則に対する例外を作る理由を特に見出せない(Bag Software, slip op. at 3732 (「原告は、標準的ではないにせよ、コンピュータソフトウェア業界において陳腐な表現の著作権保護を主張し得ない」という地裁の認定を支持))。それゆえ、裁判所はまた、実質的類似性分析における最終審査をなす前に、侵害したとされるプログラムからこのような要素を濾過しなければならない。
第3ステップ:比較
非文字的プログラム要素に関して適切と思われる実質的類似性審査の、第3かつ最後のステップとしては、比較が残る。ひとたび裁判所が、侵害したとされるプログラムのうち「アイディア」であったり、効率性または外的要因に支配されていたり、あるいはパブリック・ドメインからとっていたりする要素をすべてふるい落としてしまうと、保護される表現の核心部分が残ることとなる。ある作品の著作権法的な価値という観点からは、これは金塊である。この点において、裁判所の実質的類似性審査は、原告のプログラム全体に関するコピーされた部分の相対的重要性の評価のみならず、被告がこのような保護される側面をコピーしたかどうかに焦点をおくことになる(Data East USA, 862 F.2d at 208 (「類似性が保護されない表現から帰結されたものかどうかを判断するために、類似性の分析的分解を行うことができる。もし、・・・表現における類似性のすべてが共通のアイディアから生じているならば、実質的類似性は認められない」))。
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