ソフトウェア著作権関連判例集

コンピュータのオペレーティング・システム・プログラムにおける著作権取得能力

我々はいまや,被告の中心的な控訴理由たる,コンピュータのオペレーティング・システム・プログラムは,アプロケーション・プログラムとは異なり,著作権の適切なる対象物とはなりがたく,それは「それが固定されているところの言語や媒体のいかんを問わない」との立場について,検討を加えるところにきた(控訴人の準備書面 15〔強調部分は削除されている〕)。

……(略)……

被告は,オペレーティング・システムは,著作権法102条(b) の明確な条項およびBaker v. Selden (101 U.S. 99 (1879))の底流をなす考え方のもとにおいては,その性質上当然に著作権の保護の対象から排除されている,と主張する。しかし,これら2つの根拠の間には,実質的には理論上の重なりがある。

……(略)……

被告は,Baker v. Seldenを,「いくつかの根本的な原則を確立した判例であり,そのそれぞれが……本件での原告のオペレーティング・システムが著作権取得能力にとっての越えがたい障害となって立ち現れている」と位 置づけている。被告は次のように言う(控訴人の準備書面22)。

まず,Baker判決は,システムを使うことそれ自体は,システムを記述したものの著作権を侵害したことにはならない,としている。第2に,Baker判決は,著作権は純粋に実用的な作品には及ばない,という原則を述べている。最後に,Baker判決は,著作権というものは,アイディアに関しての独占をつくりだし,維持するための手段として使われてはならない,ということを言っている。これを示すにあたり,同判決は,著作権と特許権との主な違いを列挙しているが,これらは本件にあっても非常に関係のあるところである。

被告の依拠するもうひとつの根拠である著作権法102条(b)は,Baker v. Selden判決のはるかに後である1976年法において,初めて現れた。それは以下のとおりである。
オリジナルな著作物に対する著作権は,それがいかに記述され,説明され,図解され,化体されていようとも,アイディア,手続,プロセス,システム,操作方法,概念,法則,発見には及ぶものではない。
102条(b)が,Baker v. Selden判決における判示と傍論との実質的部分を法文化したものであることは,明白である(1 Nimmer on Copyright §2.18[D], at 2-207)。

そこで,次に,被告の議論の2つの主なポイントについて論ずることとする。


1 「プロセス」,「システム」,「操作方法」

被告は,オペレーティング・システム・プログラムは,「プロセス」,「システム」ないし「操作方法」のいずれかに該当し,従って著作権取得能力に欠ける,と主張している。たしかに,被告も正確に認識しているとおり,102条(b)の底流をなすもの,およびBaker v. Selden判決が引用されている論述の多くのものは,特許と著作権との区別 をどこに引くかという問題であり,前者は発明を保護するのに対して,後者は,かかる発明を記述した作品を保護するものである。しかし被告の議論は,この区別 を本件に誤って適用したものである。原告は何も,コンピュータが操作機能を果 たすべく指令を与える方法に関して著作権の保護を要求しているのではなく,その指令そのものについて著作権の保護を求めているにすぎないのである。方法というものは,保護されるとすれば,特許権によって保護されるものであり,これはいまだ解決されていない問題である(Diamond v. Diehr, 450 U.S. 175 (1981))。

被告は,オペレーティング・システム・プログラムを,「方法」ないし「プロセス」であるとして攻撃しているが,これは一方で,アプリケーション・プログラムが著作権の保護の対象となるとする立場と矛盾するように思われる。いずれのプログラムもコンピュータに対して何かをするべく指令を発することに変りはないからである。従って,102条(b)にとっては,これらの指令がコンピュータに対して,税金申告を準備するように指示するものであろうと(アプリケーション・プログラムの場合),ソース・コードの高級言語を二進法のオブジェクト・コードに翻訳するように指示するものであろうと(“Applesoft”のようなオペレーション・システム・プログラムの場合),何ら違いはないのである。保護を受けるのは指令だけである。従って,例えば,複雑なマシンを活動させるに必要な順序を記載したマニュアルに,指令が普通 の英語で書かれていた場合に,「プロセス」というものが関係ないのと同じように,たとえ指令がオペレーティング・システム・プログラムの中に書かれていたとしても,やはり「プロセス」は関係ないのである。よって,アプリケーション・プログラムにおける指令に与えられる著作権の保護よりも少ない保護しかオペレーティング・システム・プログラムには与えられない,とすることには理由がないのである。

下級審は肯定的に扱っているが,被告の議論である,オペレーティング・システム・プログラムはマシンのパーツである,という主張も,指令というものの物理的な特徴に焦点をあて損ねたものである。媒体はメッセージそのものではない。当裁判所はすでに,オブジェクト・コードとROMについての議論において,この主張について考察し,これを否定した。オペレーティング・システム・プログラムがROM上において刻みつけることができるという事実のみでは,プログラムがマシンのパーツやその等価物とされるいわれはない。さらには,被告側のある証人が証言しているように,オペレーティング・システム・プログラムは必ずしも永久にROMの中にいなければならないものではなく,ディスケットや磁気テープなどの,コンピュータの記憶空間にすぐに移転できる状態における他の媒体の上にあればいいのである。事実,本件で問題となっているいくつかのオペレーティング・システムは,ディスケットに固定されていた。CONTUの多数意見は以下のように述べている(報告書21)。

ちょうどビデオテープが投影機の一部とはみなされないように,あるいは,レコードが音声複製機の一部とはみなされないように,プログラムもマシン・パーツとはみなされるべきではない。……プログラムの言葉が究極的にはプロセスの実行のために使われるということが,それの著作権取得能力に影響を与えてはならない。

被告はまた,オペレーティング・システムは「純粋に実用的な作品」であり,原告はオペレーティング・システムに化体された技術の使用を妨害しようとしているから,著作権取得能力は否定されるべきである,と主張している。この議論は,Baker v. Selden判決の以下の傍論部分から発生したものである(101 U.S. at 103)。

科学や有益な技芸についての書物を出版することのまさにその目的が,世界に向かってかかる有益な知を伝達することにあるからである。しかし,その知識が,その本の侵害を引き起こすことなしには使用しえないものであるとしたら,この目的は抑圧されてしまうだろう。また,そこで教えている技術が,本の中で使われている方法や図画あるいはそれと同様のものなどを使わないことには使用しえないものならば,これらの方法や図画などは,そこでの技術に必要不可欠のものと考えられるべきで,公衆にその技術とともに与えられたものと考えるべきである。その技術を他の出版物において説明するためではなく,実地における適用のために,公衆に対して与えられたものなのである。

ある裁判所はこの判示を拡張的に解しているが,当裁判所はそのような見解を受け入れるわけにはいかない(Taylor Instrument Companies v. Fawley-Brost Co., 139 F. 2d 98 (7th Cir. 1943), cert. denied, 321 U.S. 785 (1944)を参照)。この点に関しては,我々は,ニマー教授の所説に賛意を表するものである(1 Nimmer on Copyright §2.18[C]を参照)。

この判示の字義通りの解釈は,被告の主張する,著作物が実用目的に用いられたときには著作権取得能力が否定されるということを支持するかもしれないが,かかる解釈は最高裁において否定されたところのものである。Mazer v. Stein(347 U.S. 201, 218 (1954))において,最高裁判所は以下のように述べている。「著作権を取得しうるものが意図されたところに従って使われ,あるいはその業界における使われ方をされるということが著作権登録を妨げることになるという主張については,我々はこれを支持する何らの根拠も見いだせない」(同at 218)。CONTU の多数意見も,いくつかの裁判所がとるBaker v. Seldenの拡張的な解釈に対して否定的であり,次のように述べている。 「プログラムの言語は終局的にはプロセスの実行に使用されるものである,ということがその著作権取得能力に影響を与えると解されるべきではない」(同at 21)。また同報告書は,「過去および現在における著作権の実務が,著作物の利用の形態の如何を問わずに,著作者性のある著作物に対して保護を認めている」ということにも言及している(同)。さらに,「記述されたゲームの規則やマシーンの操作のシステムに著作権が有るか無いかということは,これらの規則がゲームをする者やプロセスを実行する者の行動を統御するという事実によって影響を受けるべきではない」としている(同 〔下線引用者〕)。我々は,CONTU報告書が連邦議会によって受け入れられたものと考えている。連 邦議会は,同報告書の多数意見勧告をほぼそのままに法文化しているからである(18 Cong. Rec. H 10767 (daily ed. Nov. 17, 1980)〔カステンメイヤー下院議員の発言。本法案は「コンピュータ・ソフトウエアの著作権法による保護ということを明らかにしたCONTUの勧告を立法化することによって,コンピュータ・ソフトウエアの法的な位 置づけにまつわる混乱を解消するものである」〕; 18 Cong.Rec. S14766 (daily ed. Nov. 20, 1980)〔ベイ上院議員の発言。「この条文の文言は,CONTUの提案を反映したものである」〕)。

我々をして被告の主張を否定させた最も説得的なものは,おそらく法文上のコンピュータ・プログラムの定義で,そこではコンピュータ・プログラムとは,ある種の結果 をもたらすべくコンピュータの中で使用される一連の指示とされているが(§101),これは,アプリケーション・プログラムとオペレーティング・プログラムとの間に何の区別 もおいていない,ということである。被告はこの点,被告がそのような区別 を見いだそうとした区別を採択した先例を提示することができなかった。この点について考察した裁判例の中で,Apple Computer, Inc. v. Formula International, Inc.(562 F. Supp. 775 (C.D. Cal. 1983))においては,裁判所は当裁判所と同じ結論に達している。すなわち,オペレーティング・システム・プログラムは,当然には著作権の対象から排除されるものではない,ということである。この裁判所は次のように判示する。「法文中には,マシンの中で異なって機能することで区別 される2つのコンピュータ・プログラムについて,異なる保護がなされるということを示唆する条項は見いだされない」(同at 780)。他の裁判所は,この問題に触れることなく,オペレーティング・プログラムの著作権取得能力を肯定している(Tandy Corp. v. Personal Micro Computers, Inc., 524 F. Supp. at 173〔ApplesoftやApple Integer Basicと同様に,インプットを機械言語に翻訳するインプット/アウトプット・ルーチンを貯蔵したROMについて,これを適法な著作権の対象であるとした〕;GCA Corp. v. Chance, 217 U.S.P.Q. at 719-20〔オペレーティング・プログラムをソース・コードの状態で登録してあったが,これのオブジェクト・コード・ヴァージョンも同じ著作物であり,保護されるとした〕を参照のこと)。


2 アイディア/表現の区別

オペレーティング・システム・プログラムに著作権取得能力なしとする,被告の別 の理由づけは,アイディアとその表現との間に引かれる境界線についてのものである。この点に関する法のありかたについては,Mazer v. Stein判決で解釈されたBaker v. Selden判決が,いまもって基準となっている。Mazer v. Stein判決において,最高裁はこのように述べている。「特許とは異なり,著作権というものは,そこで開示された技術に関しての独占権を付与するものではない。保護が与えられるのは,アイディアの表現についてのみであり,アイディアそれ自身にではない。」(347 U.S. at 217〔注は省略〕)

このアイディア/表現の区別は,今日では102条(b)において明示に認められているもので,そこでは,著作権は「いかなるアイディア」に対しても認められないとされている。この条項は,著作権の保護の範囲を拡張ないし縮小すべく作られたものではなく,「表現とアイディアの間の基本的な区別 がいまも不変であることを……確認して述べたもの」である(上記H. R. Rep. No. 1476 at 57, reprinted in 1976 U.S. Code Cong. & Ad. News at 5670)。立法過程を精査するに,102条(b)は,「プログラマーによって採用された表現はコンピュータ・プログラムの中で著作権取得能力のある要素であり,プログラムに収められている実際のプロセスや方法などは著作権法の範囲にあるものでないことを明らかにさせる」意図によって挿入されたものであることが判る(同)。
アイディアと表現との間に境界線を引こうとしてきた多くの裁判所は,これが実際にどこに引かれるべきなのかを言い表わすのに困難を感じてきた(Nichols v. Universal Pictures Corp., 45 F. 2d 119, 121 (2d Cir. 1930)〔ラーニド・ハンド判事〕を参照。また 3 Nimmer on Copyright §13.03[A]における議論を参照せよ)。本件についていえば,我々は,オペレーティング・システムのプログラムについては,この境界線は実際的なものでなければならないと考えている。これは同時に,「特許法と著作権法とに反映しているところの,競争と保護とのバランスを保つ」(Herbert Rosenthal Jewelry Corp. v. Kalpakian, 446 F. 2d 738, 742 (9th Cir. 1971))ということをも考慮にいれた境界線でなくてはならない。当裁判所は,Franklin Mint Corp. v. National Wildlife Art Exchange, Inc.(575 F. 2d 62, 64 (3d Cir. ), cert. denied, 439 U.S. 880 (1978))で述べたように,「特許とは異なり,著作権は,新規性や発明を保護するというよりは,オリジナリティを保護するものである」。この意見の中で当裁判所は,以下の文章をDymow v. Bolton(11 F. 2d 690, 691 (2d Cir. 1926))判決から肯定的に引用している。

特許が,発明的なアイディアを実用に応用する方法のみに保護を限っているように,著作権は,アイディアを表現する方法のみに保護を限定しているのである。もし同じアイディアが全然別 個の複数の方法で表現されうるとすれば,複数の著作権が存在し,侵害はない,ということは全く真実であって,この場合侵害は発生しないというべきであろう(下線引用者)。

我々は,上記の文言における示唆を受け入れ,従って,アイディアがいろいろな表現をとりうるか否かについて注意を集中する。もしも,原告のオペレーティング・システム・プログラムと同じ機能を果 たす別のプログラムを書いたり創作したりすることができるならば,そのプログラムはアイディアの表現物にあたるのであり,著作権取得能力のあるものということになる。本質的には,この調査は,表現とアイディアとが融合したか否かを判断する際のそれと変わるものではない。この表現/アイディアの融合現象は,ある特定のアイディアを表現するのに他に方法がない場合,あるいは,あるとしてもほとんどない場合に起こるものとされている(Morrissey v. Procter & Gamble Co., 379 F. 2d 675, 678-79 ( 1st Cir. 1967); Freedman v. Grolier Enterprises, Inc., 179 U.S.P.Q. 476, 478 (S.D.N.Y. 1973)〔「著作権の保護は,その作品の根底にある対象が必要的に統御するところの表現形態に対しては付与されない」〕;CONTU報告書at 20 等を参照)。

この点,下級審は,原告のオペレーティング・システム・プログラムの全部ないし一部が,その根底にあるアイディアの唯一の表現手段であるか否かについて,事実認定を行っていない。被告からは,これに関しては,少なくともいくつかのプログラムについては書きなおすことが可能である旨の認容があるように思われるが,この問題についての記録は明らかとは言いがたく,控訴審レベルで判断するに足るものがない。従って,この問題が差し戻されれば,その時点で必要な事実認定がなされるものと思われる。
被告は,プログラムを書きなおすことができると否とにかかわらず,「アップルとコンパティブルなソフトウエアの全体を載せることができるようなコンピュータを可能にするためには,オペレーティング・システムを調整する方法は限られたものしかない」と主張している(被控訴人の準備書面 20)。しかしこの主張は,アイディア/表現の区別やそれらの融合現象に何の関係もない。表現と融合して,その表現の著作権取得能力を失わしめるアイディアとは,その表現の対象たるアイディアである。オペレーティング・システムのひとつにおけるアイディアとは,例えば,ソース・コードをどうやってオブジェクト・コードに転換するか,といったことである。このアイディアを表現する方法が実際的にいって他にもあるとしたら,そこには融合現象はないのである。被告は,「アップル・」向けに書かれた独自開発のアプリケーション・プログラムで完全なコンパティビリティを達成しようと望むことはできるわけだが,これは,特定のアイディアと表現が融合したか否かという幾分か形而上的な問題には関与しない,商業的かつ競争にまつわるところの問題である。

要約すれば,オペレーティング・システム・プログラムが当然に著作権取得能力がないとする被告の主張には説得性がない。この問題が提起された別 の裁判所においては,この区別は否定された。CONTUの多数意見も連邦議会も,オペレーティング・プログラムとアプリケーション・プログラムとの間の区別 を否定した。当裁判所は,1980年改正法は,連邦議会が新しいテクノロジーを受け入れ,著作権法を通 じてコンピュータ・プログラミングの分野における想像力と創造性とを促進する姿勢を反映したものである,と信じている。当裁判所は,下級審における仮処分申請の却下が,その多くの部分はオペレーティング・システム・プログラムに関して著作権保護が可能か否かについての誤った見解およびオブジェクト・コードとROMについての不必要な懸念に影響されてのことであると判断するので,ここに,仮処分申請の却下についてはこれを破棄し,再考を促すべく差し戻すものとする。……


(01)〔原3〕 永久的な記憶装置との対比では,RAM(ランダム・アクセス・メモリー)は,一時的な内部的な記憶が貯蔵されるチップであって,このような記憶は,コンピュータの電源が切られると消えされてしまうものである。