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♪♪♪ ベンチャーが日本を元気にする ♪♪♪


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前田 昇
大阪市立大学 大学院創造都市研究科 アントレプレナーシップ研究分野


大企業の弱みである“イノベーションのジレンマを”を打ち破るために、“コーポ レートベンチャリング”を日本に根付かせよう。ベンチャーと大企業のWin−Winをどう創り上げていくか?のテーマで進めます。

1944年 大阪府堺市生れ。1966年高崎経済大学卒。1999年慶応義塾大学大学院修士(政策・メディア)卒。2001年高知工科大学大学院工学研究科博士(学術)卒。
1966年 日本IBM本社入社、米国IBM世界本社製品計画、1977年 ソニー本社入社、経営戦略部門長、マーケティング戦略本部長、ハイテク社内ベンチャー事業室長、米国ソニー、欧州ソニー企画戦略担当VP。 1999年高知工科大学大学院起業家コース教授。2003年大阪市大大学院教授。青山学院大学、名古屋大学、京都大学大学院非常勤講師兼務。 
主要著書は『スピンオフ革命』(東洋経済新報社 2002年)、『自律結合国際戦略』(同友館 1999年)、『ベンチャーと技術経営』(共著 丸善 2005年)、『日本の産業クラスター戦略 ―地域における競争優位の戦略』(共著 有斐閣 2003年)、『イノベーションとベンチャー企業』(共著 野中郁次郎編著 八千代出版 2002年)。
専門分野は起業論・国際経営論。


2006年03月26日(日曜日)

起業志望者は、社会人大学院で事前勉強を

 私は社会人大学院でもう10年以上教えている。青山学院大学で4年間大企業社員向けのMBAとしての国際ビジネス論、国際マーケティング論、高知工科大学起業家コースで4年間と大阪市立大大学アントレプレナーシップ研究分野で3年間、起業家を対象としたベンチャー起業論、ベンチャーマーケティング論等である。

 これらの経験を通してこの10年間で見えてきたことは、下記の3点である。

 

1)MBAと起業は、学生の取り組む視点が大きく違う。

  MBAは大企業内でいかに自分を差別化するかの学習が中心で、起業コースは、いかに自分自身の会社を創り上げるかが中心である。

 

2)教授と学生、および学生間の互恵教育である。

 2年間での学習のうち、教授による講義以上に学生同士の教えあいによる学びの効果が大きい。学生たちの平均年齢は35歳くらいで、大学院に来るからには皆何らかの志を持ったスペシャリストであり、刺激しあう環境の中で自発的で異なった分野の融合作用の効果は大きい。学生仲間のネットワークが2年間の最大の財産だと卒業時には皆声を揃えて言う。

 

3)学問と専門知識のバランスと融合が重要。

 昔と違って多くの大学院生は大学教授を目指しているのではなく、専門性を学びに来ている。当初学生たちは学問以上に専門知識の習得に意欲が強く、企業からのゲスト講師の実体験に基づく講義に興味を示す。学者の話には乗りにくい。しかし修士論文を書き出すとアカデミックな理論に今まで以上の興味を示し、自ら新規理論を打ち立てることの喜びを見出すようになる。社会人大学院の学生が修士論文に取り組む意義は大きい。教員構成には純粋学者と実務経験者のバランスが重要である。

 

 起業家養成のコースでいつも授業料の数倍のリターンを得て卒業していくのは、創業社長達である。数年前に創業してから社長として大学院に来て学びなおしている。卒業時に多くの社長は「大学院で習ったことは大体実務で経験していて知っていた。しかしこの2年間でそれらのことが体系的に論理的に頭の中で整理できた。今後新しい問題にぶつかっても其の位置づけが明確で解決が容易になりそうだ」と言う人が多い。

 今や東京、大阪等の都心の一等地に数十の社会人大学院がひしめいている。スピンオフ起業を考えている人たちは、企業の社員である間に社会人大学院で学ぶと良い。あまり知られていないが、入学試験は学部入学と比べ格段に容易である。多くの大学院では小論文と面接が中心で、しっかりビジネスをやってきた経験があれば入学は容易である。授業はウイークデーの夜週2回くらいと、土曜日全日のケースが多い。

 例えば私が教えている大阪市大大学院アントレプレナーシップ研究分野ホームページの下記「キャンパスライフ」の項を見ると入学前の多様な各種疑問への答えが見えてくる。他大学も似たようなものである。「社会人大学院 起業」で検索すると多くの社会人大学院が簡単に見つかる。皆さんの起業準備としての社会人大学院でのチャレンジを期待している。

http://www.gscc-entre.com/J/campuslife.html

2006年03月25日(土曜日)

カーブアウト

 カーブアウト(Carve Out、企業から事業の戦略的切り出し)という言葉が日本でも徐々に使われ始めだした。カーブアウトは、企業としてコアでない事業部門をいつまでも保持しないで思い切って切り出して、出身会社や第三者から一定の支援を受けつつ新たな起業家精神の元で事業を再構築する手法である。

 変化への対応のために、資産効率を上げるために、日本企業が不得意であった選択と集中を進めざるを得なくなってきているからである。日本企業は不採算で将来発展の見込みがなくとも事業や技術を保持し続ける習性があるが、其の事業や技術に直接かかわる優秀な技術者を大企業組織に縛らず自由な環境で起業家精神を発揮させることは、不採算で沈滞している事業における新しい特許や技術を掘り起こす上でも効果が大きい。

 日本で必要性の認識は高いカーブアウトであるが、大企業経営者が積極的に将来性の乏しい事業部門の技術や休眠特許を企業外に切り離してカーブアウトを推進していけるかというとそう簡単ではない。「切り出す勇気」を創業経営者で無い多くのサラリーマン経営者にはあまり期待できるものではない。

 もし将来自社から切り離した技術が他社で大成功すればトップからや株主総会で責任が問われかねない、と思っただけで腰が引けてしまう。

 カーブアウト事例としてNECからのファブソリューション、富士通からのセレスター・レキシコ・サイエンシズやアクセラテクノロジ、日本IBMからのアドテックス、ソニーからのパウデック、住友電工からのシクスオン等があり日経産業新聞(2003年3月31日〜4月3日)等でも特集で紹介されている。

 これら事例企業の創業社長インタビューから見えてくることは、「自分が開発したのに活用されていない技術を、スピンアウトして外部で活用したいと熱望する高度技術者の強い意欲が、カーブアウトに腰の重い企業トップや事業責任者を動かす」ということである。

  カーブアウト促進の政策としては、知的財産の評価法の確立、企業を転出し易くする年金の仕組等、多様な課題が横たわっている。しかしカーブアウトを推進していくためにはそのような施策も大事だが、それ以上に大企業をスピンアウトして起業をするような人を尊敬する環境を作りだす企業環境、社会環境にすることが一番の妙薬である。

 起業する人を尊敬する気風、日本は世界的にこれが一番欠けている。これこそが今の日本でのベンチャー促進最大の課題である。

2006年03月25日(土曜日)

スピンアウト と スピンオフ

個人が企業を飛び出して起業する形態に其の飛び出し方で二種類ある。「スピンアウト」と「スピンオフ」である。

 ペンシルベニア大学ウオートン・ビジネススクールのマクミラン教授が2003年の経済産業省スピンオフ研究会で私が其の違いを質問した時に話した定義では、「スピンアウトは飛び出したあと出身企業との関係を全く持とうとしないベンチャーで、スピンオフは飛び出したあとも出身企業とのなんらかの関係を維持しようとするベンチャー」を言う。

 企業を飛び出す時はスピンアウトがいいのかスピンオフがいいのかについて、スピンオフ研究会の討議ではザインの飯塚社長もメガチップスの進藤社長も、スピンアウトに限ると主張しておられた。起業するために飛び出すからには元の企業から助けてもらおうと思っていては切羽詰った感覚がもてなく、リスクの高いビジネスを切り拓いていくのは難しいとの指摘があった。自らの体験から学んだ指摘であり説得力があった。

 ただ私は「スピンオフ革命」の著者として次のように反論した。確かに大企業を飛び出す勇気は、自分の主張を受け入れない企業方針や上役への反発があり可能となる。出身企業がサポートしてあげるから起業したら、ではエネルギーの燃焼度が格段に違うであろう。其のとおりだと思う。しかしソニーの多くのスピンオフ事例を身近に見て、私の考えには其の先のストーリーがある。

 ソニーでは優秀ないわゆる「できる人材」がスピンアウトで飛び出すことがわかると、役員クラスや社長・副社長、時には会長が退職直前に自ら其の人材の席まで降りてきて、「君が飛び出すのは全く残念だが、そこまで決心したのだからもう止めても無駄だろう。しかしソニーOBとしての誇りを持って新たな事業にチャレンジして、ぜひとも成功してもらいたい。成功してソニーと対等に連携しよう。第二のソニーを目指して欲しい。其の形でソニーに恩返ししてもらいたい。万が一起業がうまく行かなかった時は私に声をかけてくれ。君にはいつでもソニーに戻ってきてもらいたい。」のような話をする。本当に戻ってこれるかどうかは知らないが、実際戻ってきた人材が数人いる。

 ソニーと喧嘩別れの形でスピンアウトの意識を持って飛び出した人材が、トップのこの一言で瞬間にソニーと将来の連携を目指すスピンオフに変わってしまうのである。スピンアウトとスピンオフのいいとこ取りの新結合である。

 

2006年03月25日(土曜日)

大企業に残る か 飛び出すか?

 せっかく憧れの大企業に入社したのに、其の大組織の中で完全燃焼できていない人が多い。課長くらいまでは実力で上れるが、部長昇進以降は企業内の人脈や、事業の選択と集中で自分の持つ技術が生かされるか、亜流に追いやられるかで大きな差がついてくる。出世を望まなくとも、自分の好きな技術を思う存分深堀させてもらう余裕も、利益追求が激しいこの時代にはなかなか望めない。

 理工系であれ文系であれ、大企業の中で一流の技量を持っていて一流の仕事を任されている人は、日本産業振興のためにもしっかりその場で大企業の舵をとっていく必要がある。また二流の技量の人はその企業にしっかりしがみついていないと他に出て行っても成功しないであろう。

  しかし一流の技量を持ちながら自社のコア技術ではないとか何らかの関係で1.5流に扱われている人は、日本の産業活性化のためにもスピンアウトすべきである。

  そのようなリスクをとって打ち出る熱意のある一流技量の人材は、その技術と共にカーブアウト(企業から事業の戦略的切り出し)したほうが企業にとってもそのエンジニアにとっても成果が多いのではないか。

 「大企業の中では陳腐化する技術でも、市場にさらすことによって技術が向上し、魅力も高まる」と主張していた富士通スピンオフのアクセラテクノロジ進藤社長の声が実感であろう。

2006年03月25日(土曜日)

人材輩出企業

 スピンアウトする人を大企業あげて村八分にする時代は終わったのではないか。どれだけ大企業から優秀なスピンオフ人材が出てきているかで、学生や若者は自分たちにとっての企業価値を計る時代になってきている。「あの会社は人が育つ」という企業イメージが才能のある若い人材を引き付ける時代である。

 このような時代を牽引するかのごとく次のようなNECと三菱商事社長の積極的な発言が注目されている。

 

 小島三菱商事社長:

   日本経済新聞 朝刊 2004年1月22日「けいざいじん」

「リクルートや日本IBMはOBが経営者としていろんな会社で活躍している。三菱商事はそれを上回る人材輩出企業になりたい」

 

 先日たまたまゴルフコンペで小島社長にお会いし、ゴルフ後の風呂につかりながらこの記事を大学院の講義で使っています、とお話して話が弾んだ。

 

西垣浩司NEC社長:

   朝日新聞朝刊2002年7月9日「焦点 知的財産立国」

 「日本では人材が大企業に集まりすぎている。何万人もの社員がひとつの企業で働いても個人の能力を引き出すのが難しくなってきている。優秀な人材を外に出してベンチャーで活躍させて、出資の形で支援し、お互いの利益とする。特許の数を誇る時代ではない」

 

 この西垣元社長の新聞記事のでる少し前に内閣府の会合で尾身科学技術担当大臣やノーベル化学賞受賞の白川英樹博士等総合科学技術会議メンバーの前で出版したばかりの「スピンオフ革命」のプレゼンテーションをした時に、当時のNEC佐々木会長が、当社をスピンオフしたリアルビジョン杉本社長を創業当初NECが積極的にサポートした、前田さんの言っていることを我社ではすでに実践している、と胸を張っておられたのが印象的である。

 新しい時代の大企業とベンチャー企業のWin-Win型ビジネスモデルを大企業経営者や事業責任者は考えていく必要がある。研究開発型ベンチャー企業との連携無くして大企業の発展はない。キャッチアップ時代が終わり、フロントランナーの時代にコーポレート・ベンチャリングなくして大企業の革新的なイノベーションは進まない。

 日本で人材輩出企業が多く出現し、コーポレート・ベンチャリングの促進につながることこそがハーバード大クリステンセン教授の主張する「イノベーションのジレンマ」を解く鍵ではないだろうか。

 

 

2006年03月24日(金曜日)

社内ベンチャー と 社外ベンチャー

 社内で起業家精神を活用し、本業ではできないチャレンジングな急成長ビジネスを創出しようとする社内ベンチャーは、各社で盛んであるがそのほとんどは成功していない。ソニーのプレイステーションや三菱商事のネットワン、プラス文具のアスクル等がその数少ない成功事例である。

 多くの場合は自由な企業文化を社内外に宣伝するためや余剰人員の受け皿会社的な「ベンチャーごっこ」や子会社的中小企業群の創出で終わっているのではないか。将来本社の事業部や子会社となって本業を支えるほどの短期間での急成長は無く、近い将来の株式上場のメドが数年で見えて来るビジネスはごく少ない。

 本社の管理部門が口を出す制限された自由と、倒産や資金調達のリスクの無いぬるま湯では、簡単には独立ベンチャーのメリットをかちとれない。例えば現在東証二部上場まで成長したベンチャー企業サイボウズは、松下電工の社内ベンチャーが飛び出して造り出した企業である。多くの社内ベンチャー経験者が飛び出す理由を聞いてみると、ほとんどが同じ理由である。ひとつは大企業と同じ管理体制で自由に身動きが取れないこと。もうひとつは本社決済が多く決定スピードが遅くなることである。社内ベンチャーは資金繰りや倒産の心配をしなくとも良いが、これではベンチャーとしての本来の発展は望みにくい。

 数年前にトヨタの奥田社長が数百億円の資金を準備して大々的に社内ベンチャーを始めると宣言し大きな記事になったが、まもなくうまく進んでいないと発表した。そして「大企業に来る社員は安定を求めており、そもそも大企業社員にリスクのあるベンチャーを勧めることに無理があった」と述べていたのは経営者の正直な感想であり印象的であった。

 社内ベンチャーよりは、独立させて、完全な自由度を与えながら育成し、成功したベンチャーと連携したほうが成果も上がると思われる。富士通ではこの弊害を取り除くために社員は退社してからベンチャーを始める「社外ベンチャー」制度としての「スピンアウト・プログラム」を日本では初めて2000年から進めており、他社の社内ベンチャーよりは成長も早く株式公開等をめざす成功の兆しが見え始めてきている。

 社外ベンチャー制度では創業者の退職金を資本金に組み入れ、独立後数年間は親企業が資金や技術、法務、経理、出向者送り出し等のサポートをするが、ベンチャー経営者は事業が失敗すると親会社には戻れないで失業する。このリスキーな瀬戸際感がベンチャーには不可欠であり成功の源泉となる。

 社内ベンチャーよりも社外ベンチャーやスピンオフベンチャーのほうがベンチャー本来の理にかなっているのではないか。起業志願者を社外に出してサポートしながらリスクをとらせ、大企業自身もリスクをとり、ベンチャーがうまく行けば連携する、言い換えれば「かわいい子には旅をさせる」方が本来の効果を得られるのではないか。大企業の社内ベンチャー制度はそろそろ其の基本的な発想を再考する時期である。

 

2006年03月22日(水曜日)

スピンオフベンチャーとの連携 −トヨタの事例

 トヨタ自動車は7年も前にITソフト技術系のスピンオフベンチャーと連携しWin-Win戦略を成功裏に進めている。

 1997年にリコーの研究所をスピンオフした理学博士である鳥谷浩志氏ら数人が起こした三次元画像圧縮伝送ソフト開発のラティステクノロジーにトヨタは1999年に億の金額を出資している。無名のベンチャーにとってのトヨタの資金参画はベンチャーの技術と成長への大きな自信と希望になる。信用度も上がり、ベンチャーキャピタルからの投資にも弾みがつく。まさに大企業とベンチャーがWin−Winの関係となり、コーポレート・ベンチャリング事例の典型である。当時、前勤務先とのWin&Winの関係を模索していたが出資には至らなかった。

 鳥谷社長率いるラティステクノロジーは今では有名ベンチャーで、近い将来の株式公開も視野に入れているが、まだ全く無名の時期にネットワーク時代の車造り技術に必要と判断し、早々とリスクマネーを投資したトヨタの目利き能力はすばらしいものがあるといえる。数Kバイトの軽量さで三次元画像をインターネット上で伝送できる革新的な技術は、トヨタの遠隔地試作設計や図面データベース管理の武器となりえる。

 トヨタとベンチャー企業との連携は財界人の雑誌である「財界」2002年夏季特大号で「いまトヨタが密かに始めたベンチャービジネスの囲い込み」としてセンセーショナルに報道されている。トヨタ等の先端を走る気の利いた大企業は、すでにコーポレート・ベンチャリングを意識的に密かに実行している。

2006年03月22日(水曜日)

スピンオフベンチャーとの連携ーNECの事例

 

 NECは核となるビジネスから外れた技術と人材をカーブアウト(企業からの分離独立)し、社外で応援しながら育て、ベンチャー企業と大企業のWin-Winを進めつつある。

 NECの工学博士でもある辻出徹評価技術開発本部長は半導体製造工程使用目的で約10億円かけて自ら開発した装置は自社内だけでは採算が取れず事業廃止の動きの中でNECからライセンスを受けてスピンオフし、ファブソリューションを2002年に設立した。

 大企業で眠れる特許を活用するため社外にスピンオフ・ベンチャーとして打ち出していくのは、企業にも日本の産業にも有益なことであるとのNECトップの大胆な判断であった。NECは特許独占許諾権のほか、研究室の設備の利用、税務や財務サポート等の事業支援を2年間無償で行う見返りに、2002年4月商法改正で認められたストックオプションとしての新株予約権を入手した。

 ベンチャー企業はNECが一株も資本を持たないので、完全独立会社として全く制約無しに競合企業との取引も含めて自由な活動が保証されている。NECのサポートがあるということで信用が増し内外のベンチャーキャピタルからの出資を引き込んだ。創業した辻出氏は会長兼CTOとなり、社長として東京エレクトロン、住商エレクトロニクス等を歴任しビジネス経験の深い戸賀崎邦彰氏を招きいれた。

 当時のNEC西垣社長は、次のように述べている。「日本では人材が大企業に集まりすぎている。何万人もの社員がひとつの企業で働いても個人の能力を引き出すのが難しくなってきている。優秀な人材を外に出してベンチャーで活躍させて、出資の形で支援し、お互いの利益とする。特許の数を誇る時代ではない」。日本企業のトップも変革を始めている。

 古い体質の日本の大企業をこのように動かすもうひとつの要因として、自分が開発したのに活用されていない技術をスピンアウトして外部で活用したいと熱望する高度技術者の強い意欲が、カーブアウトに腰の重い企業トップや事業責任者を動かす、ということでもある。

 日本の大企業のトップマネジメントやエンジニアにも、ベンチャー企業にも新しい発想が生まれ始めた。このような新しい動きが日本のファイブサークル・モデルの優位性を築き上げていく。

 

2006年03月22日(水曜日)

なぜ日本に今、技術系ベンチャーが必要か?

 追いつけ追い越せ時代に、ものづくりで大成功した日本は、フロントランナー時代の今、情報化時代におけるものづくりのあり方を問われている。ものづくりは日本産業のエンジンであることには変わりがないが、中国・韓国・台湾の追い上げで利益の確保が難しい。液晶やDVD等の先端技術も数年で追いつかれている。車もあと10年持たないかもしれない。

 ブリックビジネス(レンガ造りの今までのアナログ産業)である製造業と、クリックビジネス(ITのディジタル産業)の融合がこれからの産業の勝負の場であり、そこに付加価値が生まれる。インターネット企業であるアマゾンは倉庫というアナログ領域を苦労をしながら取り込んだ。GEのジャック・ウエルチ会長は長年のノウハウが必要なアナログ企業が即効性のあるインターネットを取り組むほうが、アマゾン的アプローチよりも有利であると主張した。

 ものづくりとE ビジネスの融合を『ファイブサークル・モデル』と私たちは命名した。即ち「半導体や液晶、燃料電池のようなキイデバイス」、「極小のOS」、「PCや携帯電話のような情報端末」、「ネットワーク」、「コンテンツや商品」、の五つの要素が新産業のバリューチェーンを構成している。今まではPCが其の中心となりインテルやマイクロソフトがこのファイブサークルを制覇していた。

 ファイブサークルで成功する、即ち金銭を伴う取引を使いやすくする最重要要因はセキュリティと使い勝手の良さである。この両者はファイブサークルの優秀な「キイデバイス」と「極小OS]を持つ「情報端末」で決まってくる。誰でも部品を集めれば組み立てられるPC全盛の時代にはウインテル* が勝利した。PC全盛の時代が終わり、いつでもどこでもの携帯電話の時代となった今、すり合わせが必要な複雑なものづくりの時代が到来している。

 ここに日本の強い製造業の微細な技術を必要とするキイデバイスが活きてくる。但しそれらキイデバイスをITソフト技術でE ビジネスと融合させる必要がある。この仕事は当初売上がごく少ないニッチビジネスであり、かつ短期間に徹夜の繰り返しが要求され、大企業には向かない「イノベーションのジレンマ」ビジネスである。

 これをやり遂げられるのは熱意と志のある逃げ場のない最先端技術ベンチャー企業である。日本の残されたものづくりの優位性を活かせるのは大企業ではなくベンチャー企業なのだ。このベンチャー企業の成果とリソースを持つ大企業が連携して初めて日本の製造業が新しい時代に活躍できる。これらベンチャー企業なくして大企業は其の優位性を活かせない。

 私はこれを「ファイブサークル・モデルにおける技術ベンチャー活躍の場」と読んでいる。インデックスやアクセス、ザイン、インクス等はこの「場」で成功した技術ベンチャーである。

 

 

*:米マイクロソフトとインテルの同盟関係であるウインテル連合の通称で、マイクロソフトの「ウインドウズ」と「インテル」からなる造語のこと。

2006年02月23日(木曜日)

スピンオフ革命

 1991年のバブル崩壊後の10年間は日本の経済的な成長もなく“失われた10年”といわれている。しかしその失われた10年は無駄ではなかった。大企業の優秀なエリートエンジニア達が、このままでは日本は崩壊するとの危機感から大企業を飛び出しはじめた。自分たちが描いていた技術利用の理想像を求めてリスク覚悟で起業という形で挑戦をし始めた。

 東芝の飯塚氏がザインを起業し、三井金属の山田氏がインクスを、NECの杉山氏がリアルビジョンを、ソニーの堀米氏がオプトウエアを、リコーの進藤氏がメガチップスを、IBMの長谷川氏がアドテックスを、新日鉄の佐々木氏がアクセルを、三菱商事の加山氏がエーシーワンを、興銀の三木谷氏が楽天市場を、松下電工の高須賀氏がサイボウズを、NASAの辻氏がサムコを、富士通の土居氏がセレスタ・レキシコ・サイエンシズを、ヤマハの小寺氏がエリジオンを、日商岩井の落合氏がインデックスを、等々キラ星のごとく最新技術を取り入れたベンチャー企業が数十社立ち上がり、21世紀に入りその多くが短期間で株式上場を果たし年商も1千億を超える企業が出始めた。博士学位を持つ社長も数人いる。

 私はこれを“スピンオフ革命”と名づけ“脱藩エンジニアが日本を救う”とのテーマで大阪・東京で講演会を数回開催し創業社長に体験談を話していただいた。大企業の若いエンジニアや有名大学工学部の修士・博士の学生が自己実現を目指してこれら新興ベンチャーに就職し始めた。日本でも米国に遅れること30年で研究開発人材の流動化がやっと始まった。

 これは単なる時代のノイズではなく、ドラッカーの名著「すでに起こった未来」で述べられている未来変革の前兆であると私は確信している。日本はビジネス社会においても変革への道を歩みだした。これら技術系ベンチャー企業と大企業の連携でイノベーションのジレンマは避けることができそうである。